さっきTVでちょっと話したけども、ばあちゃんの認知症グループホームの時も、弟の知的障害グループホームの時も、ガチのマジで思ったのは「大丈夫じゃなくなってから助けを求めるより、大丈夫なときから助けを求めたほうがいい」のよ。早いうちに、変えられるうちに、若いうちに、元気なうちに。…
— 岸田奈美|Nami Kishida (@namikishida) 2023年6月15日
絶望感に打ちひしがれていた帰宅中に目に飛び込んできたツイート。
私の無意識がそこに導いてくれたという感じがしました。
内容はぜんぜん違うんですけど、仕事で追い詰められてた状態だったんですね。
「助けを求めようかな?でもまだ行けそうだしな・・・」
とか思ってたんです。
そこに
「大丈夫じゃなくなってから助けを求めるより、大丈夫なときから助けを求めたほうがいい」
ってのが目に飛び込んできました。
わたしたちがやるのは、家族だからと責任を持って、ギリギリまで寄り添って、もろともブッ倒れることじゃない。心中を愛とは言いたくない。愛は外に分散させるのだ。痛みや寂しさを伴ってでも。外へ外へと、愛を受け取る地引き網みたいなものを広げていくのだ。ドッコイショー!ドッコイショー!
助けはね、早いうちから求めれば、求めるほどいいよ。うまくなるから。助けを求めるのがヘタよりも、弱音を吐くのがウマい方がいいのよ。早いうちからちょっとずつ小出しにしてたら、頼る先も、出会う人も、たくさん見つけられるから。
八方塞がりの袋小路、絶望の底で、助けてもらうのに失敗したら、しんどいよ。もうやる気起きんよ。やから、元気なときに、しんどいって言うんよ。ちょっと気持ち、多めに言うんよ。だって人は自然と取り繕ってしまうから。
しんどいことも、くやしいことも、ままならんことも、いっぱいあって、泣きたくなるけれども。いろんな人にちょっとずつ助けられて、ありがとうって言って言われて、大丈夫になっていく家族を見られるのは、それはそれで誇らしく、嬉しいことでもあるのだよ。
生きよう。元気な時から、弱音吐いて、生きよう。頼むで。以上。
抜粋しようと思ったのですが、無駄が無さすぎて全部引用になってしまった(;・∀・)
まじで疲れててもサクッと入ってくる文章。天才すぎる。
文才に加え、ほんとにキツい状況を経てきた人にしか紡げない文章に思えました。