今日は息子が釣りに出かけていました。
友達と一緒に、近所の川に行くのだそうです。
出かけ際、彼は私に言いました。
「昔、やりたかったんやけどな」
そう、彼は昔から釣りをしたがっていたのです。
そして私はそれを知っていました。
しかし、連れて行かなかった。
私は彼の願望を知りつつも、何もしなかったのです。
理由は2つ。
1つは私が魚や虫が苦手だったこと。
苦手なんですよね・・・。
そしてもう1つは、私がとても不器用なこと。
針に餌をつけるとか、不器用すぎて無理なんです。
ま、要は自分の無様なさまを見せたくなくなかったんですよね。
私は彼に、釣りの経験を与えてあげることができなかったんですよね。
時は経ち、彼はその経験を自分で入手することができたようです。
良かったです。
当たり前の話ですが、親は子供に、すべてを与えることはできません。
今回の話だと、私は息子に釣りの経験を与えてやることができなかった。
けど、悲観することは無いと思います。
親が子供に与えられるものは、人によって違います。
それは、自分や、周りの人たちが、親から何を与えられているかを見れば一目瞭然だと思います。
「自分には与えられるものは何も無い」
と思っている人にも、与えられるものが一つあると思います。
それは自分の生き様を見せること。
生き様を見せる、というとカッコいいところを見せないといけないかと思うかもですが、そうじゃないんです。
老眼が進んできたとか、
Jポップについていけなくなったとか、
こしあんよりつぶあん派になったとか、
オウム真理教事件が起こった当時の空気感とか、
そんなんでいいんです。
子供にとって親はタイムマシン。
子供が数十年後に歩む道を、垣間見せてあげることには大きな意味があると思います。
ま、多くを与えられない自分への慰みも兼ねて書いてますけどね(苦笑)
ただ、ある程度の真実も含んでいると思います。
卑屈にならず、子どもと接していければと思います。