虐げられた経験も大切で、自分の血肉になっている、という話をします。
結論から言うと、虐げられた経験というのは、
「弱い人の気持ちに寄り添える」
という力をつけられると思います。
そう思った理由を書いていきますね。
以前も書いたかもなのですが、私は中一から高一の初期まで集団虐待を受けていました。
いわゆるいじめです。
「いじめ」という表現は今でも嫌いです。
まだ「集団虐待」のほうが良いと思います。
小中一貫の学校だったのでメンバーは変わらなかったのですが、中学になった途端にみんなモードが変わったような気がしました。
のほほんとした世界から、格付けし合う修羅の世界に一気に変わった印象です。
ズボンを脱がされそうになったり、唾を吐きかけられたり、トイレで髪を濡らされたりしました。
昼食を食べているときも油断できないため、急いで食べていました。
以来、早食いの癖がついて、その癖が治ったのは最近です。
そんな中、仲の良い友達もいたのですが、そんな人も大学時代にやった金の貸し借りが原因で、嫌な思い出になってしまいました。
中学時代、私にも多分、楽しい思い出もあったし、良い人間関係もあったと思います。
ただ、集団虐待を受けた辛さが強すぎて、この頃のことは今後一生 もう思い出したくないと思っています。
虐げられた経験が与えてくれたこと
本当につらくて、死にたいと思ったことも多々あったので、こんな経験はもうしたくないし、近しい人にも絶対に経験した欲しくないと感じていました。
しかし、ちょっとはこのような経験も必要なのではないかと思い始めました。
それは冒頭にも言った通り
「弱い人の気持ちに寄り添える」
からです。
人生ずっと勝ち組と言うか、一軍で生きていると、弱いものの気持ちにより添えず、酷い態度を取ってしまうと思うのですよね。
(経験したこと無いので私にはわからないのですが)
多くの人は、複数の人間関係の中で、自分が上位にいる関係と、自分が下位にいる関係を持っていると思います。
両方を経験した初めて、上位にいる時の苛立ちと、下位にいる時の辛さ 両方を理解できると思うのですよね。
両方経験すると、下の人の愚鈍さにもある程度寛容になれるし、
上の人間の苛立ちにも共感して、ある程度は我慢ができます。
私の近しい人には、両方の気持ちが理解できる人間になってもらいたいと思います。