明日、私は誰かのカノジョ
ようやく最後まで読み切ることができました。
最終章だけ、読み進むことができてなかったんですよね。
読んでて辛くてですね・・・
昨日、万葉倶楽部にあったので、そこで読み切ることができました。
完全なハッピーエンドではなかったのですが、主人公の雪、そして雪と付き合っていた太陽、双方前を向いて生きていて良かったなと思います。
私が思う愛情の3パターン
最終章、雪は母親と再会します。
雪は、かつて得られなかった母親の愛情を得られるかもと葛藤します。
しかし、やはり、母親の愛情は得られない。
最後、湘南の海で雪は、母親に対して自分の想いを母親に吐露します。
結果、母親はその想いを受け入れることはなく、雪は母親を捨てると宣言します。
切ないけれど、良い結末だなと感じました。
「親は必ず子供を愛しているものだ」
って意見ありますけど、嘘だと思います。
愛情があるパターンが多いのだとは思いますが、愛情が無いパターンもあると思います。
私、愛情って3パターンに分類されると思うのですよね。
- 愛情が、無い
- 愛情があるけど、受け手がそれを認識できない
- 愛情があり、受け手がそれを認識できる
雪は1 の、愛情が、無いパターンですよね。
無いものは、無いんですよね。
ここの切り分けは、早いほうが良いと思います。
問題はパターン2と3なんですよね。
実は愛情があるんだけど、受け手の方にそれを認識することができないケースがあります。
よく、ホームドラマとかではこのパターンが多いですよね。
私自身と親を考えると、パターン1と2が混ざってるかなという印象です。
やはり、あまり量は無いんだけども、実は認識できていない愛情がいくつかありそうな雰囲気です。
認識できていない分量がどの程度あるのかはまだわからないです。
今認識しているものが全てかもしれないし、
もう少し見つかるかもしれない。
この辺りはもう少し観察しようと思います。
まぁこっちはいいんです。
気になるのは私と、子どもたちの関係です。
私は、子どもたちに愛情を持っているつもりです。
ただ、その分量がどの程度なのかってのがわからない。
自分では多すぎず、少なすぎず、適量だと自負しているのですが・・・
あと、子供らがちゃんと受け止めてくれてるのかどうかが気になる。
愛情という水を流してるんだけど、ちゃんと受け取ってくれてるのかどうか?
また、彼らが持ってる器の大きさも気になるところではあります。
まぁこちらもベストを尽くして、後は子供らの審判を待とうと思います。