生きるのをもっと楽に、楽しく

1976年生まれの男性。 コピー機メーカー勤務の会社員です。 いろいろ生き辛さを感じていて、ちょっとずつでも生きるのを楽に、 そして楽しくしていきたいなぁと感じています。 このブログを通じて波長の合う人とつながれればいいなぁと思っています。

「明日、私は誰かのカノジョ」をようやく読了しました【私の思う愛情の3パターン】

 

明日、私は誰かのカノジョ

 

ようやく最後まで読み切ることができました。

最終章だけ、読み進むことができてなかったんですよね。

読んでて辛くてですね・・・

 

昨日、万葉倶楽部にあったので、そこで読み切ることができました。

 

完全なハッピーエンドではなかったのですが、主人公の雪、そして雪と付き合っていた太陽、双方前を向いて生きていて良かったなと思います。

 

私が思う愛情の3パターン

 

最終章、雪は母親と再会します。

雪は、かつて得られなかった母親の愛情を得られるかもと葛藤します。

しかし、やはり、母親の愛情は得られない。

最後、湘南の海で雪は、母親に対して自分の想いを母親に吐露します。

 

結果、母親はその想いを受け入れることはなく、雪は母親を捨てると宣言します。

 

切ないけれど、良い結末だなと感じました。

 

「親は必ず子供を愛しているものだ」

 

って意見ありますけど、嘘だと思います。

愛情があるパターンが多いのだとは思いますが、愛情が無いパターンもあると思います。

 

私、愛情って3パターンに分類されると思うのですよね。

 

  1. 愛情が、無い
  2. 愛情があるけど、受け手がそれを認識できない
  3. 愛情があり、受け手がそれを認識できる

 

雪は1 の、愛情が、無いパターンですよね。

無いものは、無いんですよね。

ここの切り分けは、早いほうが良いと思います。

 

問題はパターン2と3なんですよね。

実は愛情があるんだけど、受け手の方にそれを認識することができないケースがあります。

よく、ホームドラマとかではこのパターンが多いですよね。

 

私自身と親を考えると、パターン1と2が混ざってるかなという印象です。

やはり、あまり量は無いんだけども、実は認識できていない愛情がいくつかありそうな雰囲気です。

認識できていない分量がどの程度あるのかはまだわからないです。

 

今認識しているものが全てかもしれないし、
もう少し見つかるかもしれない。

この辺りはもう少し観察しようと思います。

 

まぁこっちはいいんです。

 

気になるのは私と、子どもたちの関係です。

私は、子どもたちに愛情を持っているつもりです。

ただ、その分量がどの程度なのかってのがわからない。

自分では多すぎず、少なすぎず、適量だと自負しているのですが・・・

 

あと、子供らがちゃんと受け止めてくれてるのかどうかが気になる。

愛情という水を流してるんだけど、ちゃんと受け取ってくれてるのかどうか?

また、彼らが持ってる器の大きさも気になるところではあります。

 

まぁこちらもベストを尽くして、後は子供らの審判を待とうと思います。